関西本線」タグアーカイブ

1984年(昭和59年)10月-関西本線奈良駅にて。

撮影日付も撮影動機も不明の写真です。奈良線が電化されたタイミングで奈良まで足を延ばしたのかもしれません。数枚だけですが、当時の記録として残しておきます。

DD51重連と12系客車。DD51-774には「さわやか号 亀山西小学校」の手作りヘッドマーク付き。
DD51-774

103系から改造された105系2連。
105系
105系正面

キハ35
キハ35-179

113系の春日大社色の快速。
113系

キハ35と101系の並び。
キハ35と101系

新今宮駅にて、環状線103系と阪堺線。
103系
阪堺線

※この記事の作成日は2020/4/12です。

1979年(昭和54年)6月-関西本線旧鹿背山トンネル~2

加茂~木津にあった関西本線の旧・鹿背山トンネルの、徒歩による鉄道遺跡撮影の記録です。この記事を書いている時点からちょうど40年前のことで、記憶はすごくあいまいです。地形図を見ながら当時の行動を推測しています。

昭和51年発行の地理院地図。現地に行った時もこの地図を持っていたはず。
地図を別窓(小窓)で開く

(※鹿背山トンネル付近の地形の変遷を参考資料にまとめました。)

上の地図のAの位置の、旧線の切り通しの上の橋からの撮影。加茂側の坑口らしい黒い形だが断定はできない。
旧・鹿背山トンネル?

Bに移動。現行の路線の東西両方向。
鹿背山トンネルから加茂方向
鹿背山トンネル・加茂側坑口

Aに引き返した後Cの鹿背山橋梁。水路をまたいでいる大仏線の小橋梁を南と北の両側から撮影。
鹿背山橋梁 南から
鹿背山橋梁 北から

この鹿背山橋梁の北側に加茂側の坑口があるはず、と進んでみると、発見!!
旧・鹿背山トンネル・加茂側坑口
旧・鹿背山トンネル・加茂側坑口
旧・鹿背山トンネル・加茂側坑口

このあと、木津側の坑口を探すも見つからず。撮影場所はEのあたりだったのか、それともFの橋からなのか。画面上部に横方向に電柱が3本見えるが、これがDの位置の坑口上を通っている道路と思われる。
旧・鹿背山トンネル・木津側

このあとはおそらく疲れ果てて無口で帰路についたのだろう。
鹿背山トンネル・木津側
キハ58系×2 + キハ35系×2 + キハ58系×2
キハ58系

奈良線の木津川橋梁。手前が関西本線。
木津川橋梁

木津駅すぐ北側。手前のレンガ造りが片町線。
上戸川橋梁

木津駅のキハ10とDE10。そして天王寺に戻って今回の旅は終了。
キハ10
DE10
381系くろしお

※この記事の作成日は2019/6/28です。

1979年(昭和54年)6月-関西本線旧鹿背山トンネル~1

高校の鉄仲間に誘われ、木津~加茂間にある鹿背山トンネルの旧線の撮影に出かけました。今でこそ旧線から分かれて奈良へと南下していた「大仏鉄道」は有名になって、廃線跡がハイキングコースになっていますが、当時は知る人も少なく遺構も道も荒れたままの状態でした。

片町線経由で出発。放出駅に入線する101系。実はこの写真は後日に撮った一枚だが、他に掲載する予定がないのでこの記事に紛れこませておく。次の写真からは当日撮影で、長尾駅に入線するキハ20。途中の田辺駅のホームや建造物を撮影。
クモハ101
キハ25 + キハ20
田辺駅ホーム
田辺駅構内通路
田辺駅本屋
田辺駅信号扱い所

腕木式信号機は撮影場所不明。
腕木式信号機

次の写真はは木津駅。マヤ34は4年前の岡山で撮ったのと同一車番の2006。マヤ34-2006
キハ35系

加茂駅について徒歩旅開始。
加茂駅待ち合い
加茂駅遠景

本線横を離れてこのあとは山道へ。
キハ58系3連

観音寺橋台をキハ35が通過。
観音寺橋台 + キハ35系
観音寺橋台 南から

反対側からの一枚。
観音寺橋台 北から

上と近い所での撮影だろうと思われる。石積み建造物の残骸と保線小屋?そしてDD51通過。
保線小屋
DD51-1039

代り映えのしない風景が続く。木の茂っているあたりが廃線跡か?
大仏線廃線跡遠景

※この記事の作成日は2019/6/28です。