1981年(昭和56年)4月-別府鉄道撮影記(2)

別府鉄道(べふてつどう)の撮影記録その2です。別府港駅近くの車庫での撮影が主ですが、このあたりから雨にたたられていたようです。

庫の奥に眠っていたのは2軸気動車・初代のキハ2
別府鉄道 旧キハ2(初代キハ2)
こちらは当時の現役だった2代目のキハ2
別府鉄道 キハ2(2代目キハ2)

キハ3 – ワ1 – ハフ5 の編成
別府鉄道 ハフ5
別府鉄道 ワ1
別府鉄道 キハ3

別府鉄道 キハ3 - ワ1 - ハフ5
別府鉄道 運転区 車両工作区
別府鉄道車庫にて キハ3

木造有蓋車(緩急車?)の廃車体
別府鉄道 木造有蓋車

無蓋車ト1とト2の側板を外し、その上に有蓋車の車体を乗せた状態
別府鉄道 ト1とト2

別府鉄道私有貨車の無蓋車と有蓋車
別府鉄道 ト4とト8
別府鉄道 ワ124とワ126

どこかで火事?
別府鉄道 DD502

ふたたびハフ7
別府鉄道 ハフ7
別府鉄道 ハフ7床下

国鉄高砂線との接続・野口駅にてキハ101
終わりかけの桜を無理に撮り入れようとしてのか
別府鉄道 キハ101
別府鉄道 キハ101
高砂線 キハ35
別府鉄道 キハ101

キハ101とキハ35の同時発車
別府鉄道 キハ101
別府鉄道 キハ101
別府鉄道キハ101と高砂線キハ35
別府鉄道キハ101と高砂線キハ35

※この記事の作成日は2020/1/25です。

1981年(昭和56年)4月-別府鉄道撮影記(1)

兵庫県の明石市・加古川市にかつて存在した超ローカル私鉄・別府鉄道(べふてつどう)の撮影記録です。当日はべた曇りのち小雨の天候だったようで、ISO400のフイルムでも露光不足気味で粒子が荒れた状態です。
前回の撮影旅行から2年近いブランクがありますが、鉄道以外に色々と時間を費やすことが多い時期だったと思われます。

別府港駅付近にて キハ2
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2 別府港行

DD502が編成作業中
別府鉄道 DD502
別府鉄道 DD502
別府鉄道 DD502

キハ2が野口へ出発
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2

DD502牽引の貨客混合列車が土山へ出発
編成は国鉄貨車の有蓋車(ワム・ワラ)9連
最後尾はダブルルーフ2軸客車で出入り口はデッキ式のハフ7
別府鉄道 DD502貨客混合列車 ハフ7
別府鉄道 DD502貨客混合列車 ハフ7
別府鉄道 DD502貨客混合列車

野口線坂井駅付近に移動してキハ2の折り返し
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2
別府鉄道 キハ2

土山線に戻り、折り返しの貨客列車
DC502の次位にハフ – トラ×2 – タム8500
別府鉄道 DD502貨客混合列車
別府鉄道 DD502貨客混合列車
別府鉄道 DD502貨客混合列車

別府港に戻る 3軸ロッド式のDC302とハフ7
別府鉄道 DC302
別府鉄道 DC302とハフ7
別府鉄道 DC302とハフ7
別府鉄道 ハフ7

※この記事の作成日は2020/1/24です。

1979年(昭和54年)8月-東京への旅の帰路~富士駅付近

東京への旅の復路も最後の撮影となりました。富士駅です。御殿場線に立ち寄らなかったのは時間の関係だったのか、今となってはわかりません。

EF60-65
EH10-43

クモハユニ44-800 車号
クモハユニ44-800 正面側
EF15-197

駅近くに移動して三脚立てて撮っていたようだが、構図も悪いしタイミングも見事にずれてる(笑)







撮影中に背後から銀玉鉄砲で撃たれる。犯人はこの子たちだった↓



この後どうやって大阪に帰ったかの記憶がありません。往路が関西本線・中央本線経由でしたが、帰路はおとなしく東海道経由だったと思います。豊橋(飯田線)には時間がなかったのか寄り道しなかったようです。

※この記事の作成日は2019/12/20です。

1979年(昭和54年)8月-東京への旅の帰路~横浜線

首都圏お別れ撮影は横浜線のぶどう色の旧型国電。101系化された南武線に続き横浜線も103系に置き換え完了間近の時期です。

横浜線の72・73系。横浜駅に移動してから東神奈川駅に戻ったようです。


東神奈川電車区(南ヒナ)の留置車両

クモルにも遭遇


※この記事の作成日は2019/12/19です。