国鉄」カテゴリーアーカイブ

1975年(昭和50年)春の大回り旅行~豊橋機関区・南紀編

午後は豊橋機関区を訪問。事務所で見学許可をお願いすると「見学」の腕章を渡され、助役さんから指差喚呼のやり方を教え込まれました。「目で見て確認するだけではなく、音や振動など五感すべてを使って安全を確認しなさい」と言われたのをいまだに覚えています。

豊橋機関区の遠景、そして流電クモハ52。



クモニ13。下はクモハ54とクハユニ56。一つ上はクモニ83とクモハ52。

山岳線仕様の救援車クエ28。前照灯3灯で前面にも機材搬出用の扉がある。

屋外にEF10-20。庫内には初期型のEF10-14。


機関区敷地から垣間見えた912-2。DD13を改軌した新幹線用のDLだが、撮影時にはこの正体に気づいていなかった。


この後の帰路は、名古屋から紀勢線回り天王寺行きの普通夜行列車「南紀」で、たぶん爆睡していたと思われます。

車窓から撮った三機鉄道のEF22-2。撮影場所不明だが「南紀」牽引のDF50-16。


※この記事の作成日は2019/6/10です。

1975年(昭和50年)春の大回り旅行~名古屋・豊橋編

大阪発着で北陸~大糸~中央~紀勢と大回りしたの旅の記録です。名古屋から豊橋に寄り道をしています。フィルムが青みかかった状態のため、補正しても不自然な色合いのものがあります。
※この旅の前半部分のネガが「N100のフイルムが読み込めない」という理由で、データ化されずに戻ってきました。富山港線、大糸線の画像は後日になりそうです。

さて、中央西線の夜行急行「きそ5号」で名古屋についた後の早朝撮影。
ヘッドマークが見えにくいが、どうやら「みずほ」。次は583系「金星」。そして「さくら」。



その後、豊橋駅に移動。半流のEF10、クハ47~クモハ53の飯田線車両に初見参。


次の撮影場所ははっきりとは記憶にないのだが、豊川放水路の看板があり、カーブしている線形から見て、小坂井駅近辺ではないかと思う。飯田線のユニークな車両たち、そして憧れのクモハ52にも出会えた。(※巻き上げ不良のため端っこが二重露光になってしまった画像があります。)





※この記事の作成日は2019/6/10です。

1975年 50-3(ゴーマルサン)直前の岡山駅~2

新幹線博多開業前の岡山駅と大阪駅での撮影写真です。山陽路の在来線特急の最後の姿の記録-その2です。

485系ボンネットの「みどり」、475系の急行は「つくし」だろうか?


山陽線のローカル運用で活躍していた旧型国電たち。



EF58牽引の荷物列車とキハ181系「やくも」。

485系貫通型の「つばめ」と153系「安芸」。

EF66牽引の貨物を最後に岡山に別れを告げる。

薄暮の大阪駅。撮影場所は当時の3番線の東端と思われる。「はまかぜ」、続いて「雷鳥」入線。

EF58が牽引していたのは寝台特急だったのだろうか?右側には梅田コマが写っている。

高層の駅ビルもホーム上の連絡通路もない空間の日没後の光景。空がよく見える。先ほどの寝台客車の横に雷鳥到着。

※この記事の作成日は2019/6/9です。

1975年 50-3(ゴーマルサン)直前の岡山駅~1

新幹線博多開業前の岡山駅です。山陽路の在来線特急の最後の姿の記録です。父のお下がりの一眼レフ:コニカFSを使っての初めての撮影旅でした。
作業用の通路などに入り込んでも現場の方たちから注意されることもなく、逆に撮影の邪魔にならないように撮り終わるまで待って下さったりしていました。鉄道ファンに対する信頼関係があったのかもしれませんがおおらかな雰囲気でした。
このような時代もあったという記録として公開しますが、今では許されざる行為です。決して真似はしないように!

485系ボンネット車の「つばめ」「はと」。


485系貫通型と583系「しおじ」。

キハ181系「やくも」。

EF58牽引の客車列車、最後尾にはマヤ併結。

153系の急行「山陽」、反対側のヘッドマークは「安芸」。

※この記事の作成日は2019/6/8です。