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1976年(昭和51年)3月-長野駅にて

3月22日といえば当時は国立二期校の受験前日です。何をやっていたんだか…
当然ながら不合格で、この後1年間の浪人生活でした。以下は説明抜きで写真を並べただけです。

サハシ169-8
クハ85
381系しなの
キハ20
12系客車とクハ86
12系客車とクハ85
381系しなの
489系あさま
489系白山

※この記事の作成日は2019/6/11です。

1975年(昭和50年)夏-淀川電車区

日付が不明ですが、夏休みに入る前の短縮授業の時期だったと思います。学校帰りの制服のままで電車区事務所に撮影許可をもらいに行くと、正確な語句は記憶していませんが「かめへんよ、気ぃつけてね」というような返事であっさりと許可をいただきました。おおらかな時代でした。

「省電始元の碑」
淀川電車区「省電始元の碑」

淀川電車区、隣接は淀川貨物駅。
淀川電車区
淀川貨物駅 DD51-47

クモハ32001。クモハ42の4扉化改造車。上り方(長尾方)は全室運転台だが下り方(片町方)は半室運転台で、そのために下り方の先頭に立つことはなかった。
淀川電車区 クモハ32001 長尾側
淀川電車区 クモハ32001 側面

クハ79054。
淀川電車区 クハ79054

車番不明だが、おそらくクモハ60とクハ79?
淀川電車区 クモハ60
淀川電車区 クハ79

クハ79056、これは鴻池新田駅での撮影。
鴻池新田駅 クハ79056


撮影を終えて帰りのあいさつに行った時に、放出(ハナテン)の留置線の撮影許可はどこに行けばよいか尋ねてみると、これまた「かめへんよ、気ぃつけてね」というような返事をいただきました。とってもおおらかな時代でした。
ネガの状態が悪く全体に青みが強くなっていますが、車体色を優先に色補正しています。

その数日後に放出訪問。当時は周囲は空き地で留置線4本だけの、のどかな場所でした。
放出派出 クモハ60
放出派出 クモハ60
放出派出 クハ79 クモハ60

放出派出 クハ79045?
放出派出 クハ79045? クハ79948?

放出派出
放出派出

放出駅付近
放出駅 クハ79 三段窓

※この記事の作成日は2019/6/11です。

1975年(昭和50年)春の大回り旅行~豊橋機関区・南紀編

午後は豊橋機関区を訪問。事務所で見学許可をお願いすると「見学」の腕章を渡され、助役さんから指差喚呼のやり方を教え込まれました。「目で見て確認するだけではなく、音や振動など五感すべてを使って安全を確認しなさい」と言われたのをいまだに覚えています。

豊橋機関区の遠景、そして流電クモハ52。



クモニ13。下はクモハ54とクハユニ56。一つ上はクモニ83とクモハ52。

山岳線仕様の救援車クエ28。前照灯3灯で前面にも機材搬出用の扉がある。

屋外にEF10-20。庫内には初期型のEF10-14。


機関区敷地から垣間見えた912-2。DD13を改軌した新幹線用のDLだが、撮影時にはこの正体に気づいていなかった。


この後の帰路は、名古屋から紀勢線回り天王寺行きの普通夜行列車「南紀」で、たぶん爆睡していたと思われます。

車窓から撮った三機鉄道のEF22-2。撮影場所不明だが「南紀」牽引のDF50-16。


※この記事の作成日は2019/6/10です。

1975年(昭和50年)春の大回り旅行~名古屋・豊橋編

大阪発着で北陸~大糸~中央~紀勢と大回りしたの旅の記録です。名古屋から豊橋に寄り道をしています。フィルムが青みかかった状態のため、補正しても不自然な色合いのものがあります。
※この旅の前半部分のネガが「N100のフイルムが読み込めない」という理由で、データ化されずに戻ってきました。富山港線、大糸線の画像は後日になりそうです。

さて、中央西線の夜行急行「きそ5号」で名古屋についた後の早朝撮影。
ヘッドマークが見えにくいが、どうやら「みずほ」。次は583系「金星」。そして「さくら」。



その後、豊橋駅に移動。半流のEF10、クハ47~クモハ53の飯田線車両に初見参。


次の撮影場所ははっきりとは記憶にないのだが、豊川放水路の看板があり、カーブしている線形から見て、小坂井駅近辺ではないかと思う。飯田線のユニークな車両たち、そして憧れのクモハ52にも出会えた。(※巻き上げ不良のため端っこが二重露光になってしまった画像があります。)





※この記事の作成日は2019/6/10です。