機関車」カテゴリーアーカイブ

1979年(昭和54年)8月-東京への旅~甲府駅付近

甲府に移動して、身延線の旧国たちの撮影です。腕木式信号機の残っている場所ですが、どの辺だったのかまったく記憶にありません。駅近くであることは間違いないと思いますが…

クモハユニ44803
クモハユニ44803

クモハユニ44802 – クハ68107 – クモハ51810 – クハ47063
クモハユニ44802
クハ68107
クモハ51810
クハ47063

クモハ51806

EF15だろうか
EF15

このあと駅近くのビジネスホテルで、人生初の一人での宿泊でした。深夜のテレビでちょっとエロい映画をやっていて、頑張って起きていたのにオープニングが始まったとたんに寝落ちしてしまったという……
ちなみにアニー・ベルの『卒業生』でした。つまらないことはよく記憶しています(笑)

※この記事の作成日は2019/10/13です。2020/1/27に車番等追記しました。

1979年(昭和54年)8月-東京への旅~早朝の松本駅

東京への一人旅の二日目です。場所は松本駅で、時計は5時半を示しているので名古屋から夜行急行で移動したものと思われます。
ネガをスキャンした状態のままの色調でうまく早朝の雰囲気が出ているようなので、カラーバランスは変えていないままです。

クハ86先頭の80系。

こちらはクハ85が後尾の、おそらく全金車4連。

EF64-69。

キハ55系?の2連。この編成のすぐ後ろに169系?の縦列停車。 

クモユニ81003、「海坊主」と呼ばれていた大糸線の名物車両。最後尾はクモハ60082。


中間に2扉のサハ45005。ノーシルノーヘッダーの半流はクモハ60?

EF64-1が入れ替え中。

ノーシルノーヘッダー平妻の3扉車はクハ55?、次の半流はクモハ60か?

※この記事の作成日は2019/8/4です。

1979年(昭和54年)8月-東京への旅~関西本線亀山機関区

東京の親戚宅に手伝いに呼ばれた時の往路です。新幹線に乗って半日で移動、なんてことをするはずはなく、大阪から関西本線と中央本線経由で2泊3日での、初めての一人旅でした。

旅の始まりの一枚は並走する近鉄特急。柏原付近か?

途中の笠置駅でのキハ35。
キハ35

亀山に到着。ホームから側線上の、おそらく廃車留置のDF50の三重連を撮影。
DF50-24 DF50-53? DF50-54
DF50-24
DF50-53?
DF50-54

三線機関庫で休むDLたち。奥には小さく転車台が見える。
DF50-26 DD51-1044 DF50-23
DF50-26 DD51-1044 DF50-23
亀山機関区

※この記事の作成日は2019/7/7です。

1979年(昭和54年)6月-関西本線旧鹿背山トンネル~1

高校の鉄仲間に誘われ、木津~加茂間にある鹿背山トンネルの旧線の撮影に出かけました。今でこそ旧線から分かれて奈良へと南下していた「大仏鉄道」は有名になって、廃線跡がハイキングコースになっていますが、当時は知る人も少なく遺構も道も荒れたままの状態でした。

片町線経由で出発。放出駅に入線する101系。実はこの写真は後日に撮った一枚だが、他に掲載する予定がないのでこの記事に紛れこませておく。次の写真からは当日撮影で、長尾駅に入線するキハ20。途中の田辺駅のホームや建造物を撮影。
クモハ101
キハ25 + キハ20
田辺駅ホーム
田辺駅構内通路
田辺駅本屋
田辺駅信号扱い所

腕木式信号機は撮影場所不明。
腕木式信号機

次の写真はは木津駅。マヤ34は4年前の岡山で撮ったのと同一車番の2006。マヤ34-2006
キハ35系

加茂駅について徒歩旅開始。
加茂駅待ち合い
加茂駅遠景

本線横を離れてこのあとは山道へ。
キハ58系3連

観音寺橋台をキハ35が通過。
観音寺橋台 + キハ35系
観音寺橋台 南から

反対側からの一枚。
観音寺橋台 北から

上と近い所での撮影だろうと思われる。石積み建造物の残骸と保線小屋?そしてDD51通過。
保線小屋
DD51-1039

代り映えのしない風景が続く。木の茂っているあたりが廃線跡か?
大仏線廃線跡遠景

※この記事の作成日は2019/6/28です。