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1979年(昭和54年)6月-関西本線旧鹿背山トンネル~1
高校の鉄仲間に誘われ、木津~加茂間にある鹿背山トンネルの旧線の撮影に出かけました。今でこそ旧線から分かれて奈良へと南下していた「大仏鉄道」は有名になって、廃線跡がハイキングコースになっていますが、当時は知る人も少なく遺構も道も荒れたままの状態でした。
片町線経由で出発。放出駅に入線する101系。実はこの写真は後日に撮った一枚だが、他に掲載する予定がないのでこの記事に紛れこませておく。次の写真からは当日撮影で、長尾駅に入線するキハ20。途中の田辺駅のホームや建造物を撮影。
次の写真はは木津駅。マヤ34は4年前の岡山で撮ったのと同一車番の2006。
上と近い所での撮影だろうと思われる。石積み建造物の残骸と保線小屋?そしてDD51通過。
代り映えのしない風景が続く。木の茂っているあたりが廃線跡か?
※この記事の作成日は2019/6/28です。1979年(昭和54年)6月-関西本線旧鹿背山トンネル~2
加茂~木津にあった関西本線の旧・鹿背山トンネルの、徒歩による鉄道遺跡撮影の記録です。この記事を書いている時点からちょうど40年前のことで、記憶はすごくあいまいです。地形図を見ながら当時の行動を推測しています。
昭和51年発行の地理院地図。現地に行った時もこの地図を持っていたはず。 地図を別窓(小窓)で開く
(※鹿背山トンネル付近の地形の変遷を参考資料にまとめました。)上の地図のAの位置の、旧線の切り通しの上の橋からの撮影。加茂側の坑口らしい黒い形だが断定はできない。
Aに引き返した後Cの鹿背山橋梁。水路をまたいでいる大仏線の小橋梁を南と北の両側から撮影。
この鹿背山橋梁の北側に加茂側の坑口があるはず、と進んでみると、発見!!
このあと、木津側の坑口を探すも見つからず。撮影場所はEのあたりだったのか、それともFの橋からなのか。画面上部に横方向に電柱が3本見えるが、これがDの位置の坑口上を通っている道路と思われる。
※この記事の作成日は2019/6/28です。